小橋常子のモデルは大橋鎭子で実在の雑誌「暮しの手帖」創刊の編集者

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朝ドラ「とと姉ちゃん」

NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」は高畑充希さんが亡き父親に代わって母と2人の妹を守るヒロイン・小橋常子(こはし・つねこ)の物語ですがモデルは誰?

小橋常子のモデルの大橋鎭子(おおはし・しずこ)さんについてご紹介します!実在の雑誌「暮しの手帖」創刊の編集者の史実とは?

小橋常子のモデルは大橋鎭子で実在の雑誌「暮しの手帖」創刊の編集者

小橋常子とは?

朝ドラ「とと姉ちゃん」のヒロイン・小橋常子は昭和初期に静岡・遠州に生まれます。

12歳に肺結核で死亡してしまった父親に代わって母と2人の妹を守り「とと(父)姉ちゃん」と呼ばれていました。

少女時代のヒロイン役の子役キャストについては、以下の記事でご紹介しています。

とと姉ちゃん小橋常子の子役は内田未来!ヒロインの現在の活動とは?

女家族で助け合って生きてきたヒロイン・常子は、戦後、東京で出版社を立ち上げ、三姉妹と天才編集者・花山伊佐次とともに、女性のための雑誌を刊行し一世をふうびします。

以下の記事では、ドラマの紹介をまとめてあります!

とと姉ちゃん朝ドラ ネタバレ あらすじ最終回!戦争や雑誌社たちあげ

そんなヒロインの常子のモデルについて以降で詳しくご紹介していきます。

小橋常子のモデルは大橋鎭子で実在の雑誌「暮しの手帖」創刊の編集者

 

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朝ドラ「とと姉ちゃん」のモデルは、戦後に仕事のパートナーの天才編集者の花森安治さんとともに生活雑誌の「暮しの手帖」を創刊した人物・大橋鎭子さんです。

大橋鎭子さんは1920年東京生まれで、日本読書新聞に就職。

そして戦後に花森安治さんと出会い「女性を幸せにする雑誌」を作るために会社を1946年に衣裳研究所(後の「暮しの手帖社」)を設立。

そして「美しい暮しの手帖」(後の「暮しの手帖」)を1948年に創刊しました。

1969年からエッセイ『すてきなあなたに』を「暮しの手帖」に連載し、このエッセイで1994年東京都文化賞を受賞。そして1978年の花森安治さんがお亡くなりになると、編集長に就任。

2004年には親族にに社長を譲ります。

そして、2013年に肺炎のため、93歳でお亡くなりになりました。

暮らしの手帖

朝ドラ「とと姉ちゃん」でも描かれるのですが「暮しの手帖」は広告を一切載せずに、各メーカーの商品を公正に比較した「商品テスト」や実際に作って書いた料理の記事が掲載。

実際に商品を使用したうえで責任を持てるものを紹介するという、読者のことを考えた姿勢に指示が集まり、人気雑誌となりました。

厳密に言うとモデルではなくモチーフ

朝ドラ「とと姉ちゃん」のヒロインの常子ですが、厳密に言うと、公式ではモデルではなく、モチーフと表現しています。

今まで多くの実在の人物をモデルとした作品が多い朝ドラですが「モチーフ」としているのは、個人的に珍しい気がしました。

「モデルの主人公のオリジナルストーリー」と言う説明が多かった気がしますが、モチーフとモデルとはどう違うのでしょうか?

ドラマのプロデューサーの方が取材で「基本的にそんなに差はない」と言い「朝ドラは、多少コメディタッチにデフォルメしている」と説明されています。

また、ヒロイン常子の父親母親の実家や、常子の恋愛についてなど、オリジナルの要素が多いことも説明されていました。

引用元:引用サイト

大橋鎭子の仕事のパートナー・天才編集者の花森安治

そして、大橋鎭子さんを語る上で欠かせない人物が、天才編集者さんと言われる花森安治さんです。

ドラマでは、唐沢寿明さん演じる花山伊佐次のモチーフが花森安治さんでした。

少年時代から自作自演で映画制作を行うなどアーティストとしての才能に恵まれた花森安治さんは、大学時代にはすでに『帝国大学新聞』の編集に参加。

そして1937(昭和12)年には、召集を受けて旧満州に行っていました。

終戦後は、先ほどご紹介したように、大橋鎭子さんと出会い、「暮しの手帖社」を設立して『美しい暮しの手帖』を創刊後は30年にわたり編集長として指揮をとりました。

紙面をレイアウトし、表紙画や挿絵も描き文章も書くと言う、いわゆるマルチクリエーターとして活躍。

またおかっぱ頭やスカート姿が有名な個性派として知られた花森安治さんですが、ドラマでも同じように、唐沢寿明さん演じる花山伊佐次がスカートをはいて大きな反響がありました。

 

「とと姉ちゃん」のタイトルの大橋鎭子の三姉妹や父親の死は実話?

父親の死の実話が「とと姉ちゃん」のタイトルに!

「とと姉ちゃん」では、ヒロイン常子の父親が12歳で亡くなり、常子が父親代わりに家族を支えました。

このエピソードは実話だったのでしょうか?

同じように、大橋鎭子さんの父親も11歳の時に肺結核で亡くなっています。

鎭子さんは「お母さんを助けて、妹の面倒をみるように」という父の遺言を守り、“家長”の自覚を胸に少女時代を過ごしたそうです。このエピソードが朝ドラのタイトルにつながったんですね。

三姉妹

またヒロインの常子は妹が2人いる三姉妹で、三姉妹で一緒に雑誌の仕事を手掛けます。

このエピソードも実話なのでしょうか?

大橋鎭子さんも妹さんが2人いらして、晴子さんと芳子さん。そして三姉妹と花森安治さんで「暮しの手帖社」を設立しています。

朝ドラ「とと姉ちゃん」とは?

ストーリー

1932年。戦前の静岡県遠州。繊維のまちで育った主人公・小橋常子(12)。三人姉妹の長女・常子は、染料会社の営業部長で子ども思いの父と優しい母を茶目っけたっぷりに「とと」「かか」と呼びながら、鞠子(10)と美子(5)という2人の妹の面倒をみるしっかりものの娘だった。
経済的にも不自由なく幸福な生活を送っていた常子たちだったが、父・竹蔵が結核にかかったことで生活は一変する。死の間際、竹蔵は常子だけを呼び出し「ととのいないあとは、常子がととになって、家族を守ってくれ」と遺言。常子はその言葉を胸に、二人の幼い妹と、母を守って生きていこうと、胸に誓う――。
「とと姉ちゃん」となった常子は、収入がなくなり、働きに出た母に変わり、家事の一切をとりしきり、妹たちのしつけ教育も欠かさない。「当たり前の生活を大切にすること」という生前の父の教えを胸に、常子は恋も休みもそっちのけで家族のために奮闘する。
そんな遠州での生活も、染料会社からの援助が閉ざされたことで、立ち行かなくなり、母・君子は、仲違いしている東京・深川の母(三姉妹の祖母)を頼って一家で上京することを決意。だが、東京で待っていた祖母・滝子の最初の対応は冷たく、一家を門前払いしてしまう。そこには滝子の連れあい青柳平助との複雑な事情があるようだった。
常子は女学校を卒業、小さな新聞社に入り、編集作業を学ぶことになる。 昭和20年終戦。東京は焼け野が原になり、常子は戦争で犠牲になるしかなかった子どもたちや女性たちに思いをはせる。「女のひとたちが幸せな暮らしを送れなかったら、そんな世の中は駄目だ。私に唯一できること、妹たちと雑誌をつくって、事業を起こそう」と、常子は二人の妹たちと1冊の雑誌をつくることを決意する。だが、素人の彼女たちは具体的に何をどうやって雑誌をつくっていくのか全くわからない。そんなとき、常子たちの前に一人の男が現れる。名は花山伊佐次。
小橋三姉妹と天才編集者・花山伊佐次、その出会いは戦後一世を風靡する生活総合月刊誌「あなたの暮し」誕生の瞬間であった‥‥

引用元 公式サイト

ヒロイン常子の子供時代から、戦争時代、そして戦後に雑誌社を立ち上げて、雑誌作りに奔走する姿が描かれます。

恋愛と結婚

朝ドラ「とと姉ちゃん」は朝ドラには珍しい、結婚しないヒロインなんです。なので、出産もしません。

それはモデルの大橋鎭子さんがご結婚せずに、生涯独身だったからと思われます。

ただ、恋愛パートはあります♪

恋愛相手は、坂口健太郎さん演じる星野武蔵です。

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